水素交通の可能性

PEMFCにおけるPt使用量低減技術:触媒層構造と担体材料革新によるアプローチ

Tags: 燃料電池, PEMFC, 触媒, 材料技術, コスト低減, 触媒層, 担体

はじめに:Pt使用量低減の重要性と技術課題

固体高分子形燃料電池(PEMFC)は、その高い出力密度と優れた応答性から、自動車などのモビリティ用途において最も有望な燃料電池タイプとされています。しかし、触媒として不可欠な白金(Pt)は高価であり、資源量にも制約があるため、Pt使用量の削減はPEMFCシステムの製造コスト低減と普及拡大に向けた最重要課題の一つです。現在のFCEVにおけるPt使用量は、ガソリン車の触媒コンバーターと比較して同等かそれ以下にまで削減が進んでいますが、さらなるコスト競争力強化には、将来的にはグラムオーダー、あるいはそれ以下のレベルまでPt使用量を抑える技術が必要とされています。

Pt使用量の削減は単にPt量を減らすだけでなく、低下したPt量でも目標とする性能(活性、耐久性)を維持・向上させる技術が求められます。これは、触媒層の微細構造、Pt粒子の分散性、担体材料の特性、そしてこれらの相互作用が複雑に関係しており、多角的なアプローチが必要です。本稿では、PEMFCのPt使用量低減に向けた主要な技術アプローチである「触媒層構造の最適化」と「担体材料の革新」に焦点を当て、その技術的詳細、最新動向、実装上の課題について解説します。

触媒層構造の最適化によるPt使用量低減

触媒層は、触媒粒子、カーボン担体、イオン伝導性高分子(イオンomer、主にNafion®)、そして細孔空間から構成される複雑な三次元構造体です。酸素還元反応(ORR)と水素酸化反応(HOR)が進行するためには、電子伝導パス、イオン伝導パス、ガス輸送パス、そして水輸送パスが効率的に形成されている必要があります。Pt使用量を低減しても高性能を維持するためには、これらの物質輸送パスを最適化し、限られたPtサイトを最大限に活用できる構造設計が不可欠です。

1. 微細構造制御による反応サイトの有効活用

2. 触媒層厚みの最適化

触媒層の厚みは、Pt総量とガス拡散抵抗、プロトン伝導抵抗のトレードオフの関係にあります。Pt使用量を低減するために触媒層を薄くすると、Ptサイトの総数は減りますが、ガス拡散抵抗とプロトン伝導抵抗が低下し、Pt利用効率が向上する可能性があります。しかし、あまり薄すぎると、活性サイトの絶対数が不足したり、電極内の物質輸送経路が分断されたりするリスクがあります。適切な触媒層厚みは、電流密度、目標出力、Ptローディング量、触媒の種類など、多くのパラメータに依存します。シミュレーションモデリング(後述)を用いた性能予測と実験的検証に基づき、最適な厚み設計が行われます。

担体材料の革新によるPt使用量低減

従来のPEMFC触媒の主流は、カーボンブラック(主にVulcan XC-72Rのようなファーネスブラック)にPtナノ粒子を担持させたものです。カーボンブラックは電子伝導性に優れ、Pt粒子の分散担体として広く用いられてきましたが、耐食性(特にカソード側での電位変動時)やPt粒子凝集の抑制といった課題があります。担体材料の特性は、Pt粒子の分散性、安定性、そして触媒活性に大きく影響するため、新しい担体材料の開発がPt使用量低減の重要な鍵となります。

1. 耐食性カーボン担体

燃料電池の運転中、特に起動・停止時や燃料枯渇時には高電位が発生し、カーボン担体が電気化学的に酸化・腐食されることがあります。担体の腐食は、Pt粒子の脱落、凝集、そして触媒層構造の破壊を引き起こし、性能劣化の主要因となります。耐食性を向上させたカーボン担体としては、グラファイト化度の高いカーボン材料(グラファイトナノファイバー、カーボンナノチューブ (CNT)、グラフェン)、または窒素ドープカーボンなどが研究されています。これらの材料は結晶性が高く、電気化学的な安定性に優れています。特にCNTやグラフェンは、その特異な一次元・二次元構造により、高い電子伝導性とPt粒子の高分散担持サイトを提供できる可能性があり、活発に研究が進められています。

2. 非カーボン担体

カーボン担体の腐食リスクを根本的に回避するため、金属酸化物(例:TiO₂, SnO₂, ITO)、金属窒化物(例:TiN, NbN)、金属炭化物(例:TiC, WC)などの非カーボン材料を担体として使用する研究も進められています。これらの材料はカーボンに比べて耐食性に優れているものが多く、高電位下でも安定した触媒活性を維持できる可能性があります。しかし、非カーボン担体は一般的にカーボンに比べて電子伝導性が低く、Pt粒子との相互作用やPt粒子の分散性、そしてイオンomerとの親和性といった点で課題があります。電子伝導性を向上させるためのドーピング技術や、Pt粒子との界面構造を制御する技術開発が重要です。

3. Pt合金触媒とインターメタリック触媒

Pt単体触媒に加え、Ptと他の金属(例:Co, Ni, Fe, Cu)を合金化した触媒は、ORR活性がPt単体よりも向上することが知られています。合金化によりPtの電子状態が変化し、酸素分子の吸着・解離過程が促進されるためと考えられています。これにより、Pt使用量を減らしつつ、高い活性を維持することが可能になります。特に、コア-シェル構造(例:非Pt金属コアをPtシェルが覆う構造)や、規則構造を持つインターメタリック化合物(例:PtCo、PtFe)は、高いORR活性と耐久性を両立できる可能性があり、注目されています。合金触媒においては、構成元素の溶出による性能劣化が課題となるため、耐久性向上のための組成設計や構造制御技術が重要です。

実装上の課題と解決策

Pt使用量低減技術の実装には、性能と耐久性の両立に加え、製造プロセスの適合性、コスト、そしてスケールアップの容易さといった観点からの検討が必要です。

1. 性能・耐久性のトレードオフ

Pt使用量を減らすと、一般的に触媒活性サイトの総数が減少し、単位面積あたりの性能は低下傾向となります。これを補うためには、上記のような触媒層構造最適化や担体材料革新により、Pt利用効率を飛躍的に向上させる必要があります。また、Pt粒子の凝集や担体腐食による劣化は、Pt使用量低減が進むほど、残存するPtサイトへの影響が相対的に大きくなる可能性があります。高耐久性の担体材料やPt粒子の安定化技術の開発は、低Pt触媒の実用化において不可欠です。加速劣化試験(AST)やオペランド測定技術を用いて、劣化メカニズムを詳細に解析し、劣化抑制技術を開発することが重要です。

2. 製造プロセスへの適合性

新しい触媒材料や触媒層構造は、現在のMEA製造プロセス(インク調製、塗布、熱処理など)に適合する必要があります。特に、新しい担体材料を用いたインクの分散安定性や塗布特性は、既存のカーボンブラックベースのインクとは異なる場合が多く、プロセス条件の再最適化や、場合によっては新しい製造プロセスの開発が必要となります。均一で再現性の高い触媒層を、大規模かつ低コストで製造できる技術の開発が求められます。

3. シミュレーションとデータ駆動型アプローチ

複雑な触媒層構造における物質輸送現象や反応分布、そして劣化メカニズムを理解するためには、マルチフィジックスシミュレーションが有効です。触媒層の微細構造をモデル化し、ガス拡散、プロトン伝導、電子伝導、電気化学反応、熱・水輸送を連成解析することで、Pt利用率や性能に対する構造パラメータの影響を定量的に評価できます。これにより、試行錯誤的な実験回数を減らし、効率的な構造設計指針を得ることが可能です。また、実験データやシミュレーション結果に基づき、機械学習などのデータ駆動型アプローチを用いて、最適な材料組成や構造パラメータを探索する研究も進められています。

今後の展望

PEMFCのPt使用量低減技術は着実に進展しており、グラムオーダーでの実現が視野に入ってきています。今後は、以下の点が一層重要になると考えられます。

これらの技術開発が進むことで、PEMFCシステムのコスト競争力は飛躍的に向上し、水素交通の普及が加速されることが期待されます。研究開発エンジニアの皆様には、これらの技術動向を注視し、自身の研究開発に活かしていただくことを期待いたします。