水素交通の可能性

燃料電池システムの高度電気化学的診断技術:EIS、電流分布測定、およびその他の手法による性能・劣化評価の最前線

Tags: 燃料電池システム, 診断技術, 電気化学, EIS, 電流分布測定, 性能評価, 劣化評価, リアルタイム診断, 研究開発

はじめに

水素燃料電池自動車(FCEV)の中核技術である燃料電池システムは、その性能、効率、耐久性がシステムの総合的な競争力を左右します。特に、長期信頼性と耐久性の確保は、商用化および普及拡大における重要な課題の一つです。燃料電池システムの性能低下や劣化は、様々な要因(触媒の劣化、電解質膜の乾燥・分解、ガス拡散層(GDL)の疎水性低下、バイポーラプレートの腐食など)が複合的に作用して進行します。これらの現象を深く理解し、適切に評価・診断することは、より高耐久で高性能なシステムを開発するために不可欠です。

本稿では、燃料電池システムの性能および劣化状態を非破壊的かつ高精度に診断するための高度な電気化学的診断技術に焦点を当てます。特に、燃料電池研究開発分野で広く用いられている電気化学的インピーダンス分光法(EIS)と、セル内の局所的な挙動を評価する電流分布測定技術を中心に、その原理、応用、そして車載システムへの適用における技術課題と最新の研究開発動向について掘り下げて解説します。

電気化学的インピーダンス分光法 (EIS) による燃料電池診断

電気化学的インピーダンス分光法(Electrochemical Impedance Spectroscopy, EIS)は、電気化学システムに微小な交流電圧または交流電流を印加し、その応答として得られるインピーダンスを様々な周波数で測定する手法です。得られた周波数に対するインピーダンスのデータ(通常はNyquistプロットやBodeプロットとして表示されます)を解析することで、システム内の様々な電気化学的プロセス(電荷移動、物質輸送、界面抵抗など)に起因する抵抗や容量成分を分離し、定量的に評価することが可能です。

EISの原理と燃料電池への応用

燃料電池スタックや単セルにEISを適用することで、システム全体のインピーダンスを周波数応答として取得します。これを等価回路モデル fitting や物理モデル fitting によって解析することで、以下のような様々な情報を引き出すことができます。

これらのインピーダンス成分の経時的な変化を追跡することで、特定の劣化メカニズムの進行度合いを非破壊的に評価することが可能となります。

車載システムへの適用における課題と最新動向

実験室レベルでは強力な診断手法であるEISですが、車載燃料電池システムに適用する際にはいくつかの技術課題が存在します。

  1. 測定時間: 従来のEIS測定は比較的時間がかかり、動的に状態が変化する燃料電池システムにおいて、特定の運転点での正確なインピーダンス情報をリアルタイムで取得することが困難でした。
  2. ノイズ: 燃料電池システムは、DC-DCコンバータなどのパワーエレクトロニクスや、コンプレッサー、ポンプなどの補機類からの電磁ノイズの影響を受けやすい環境にあります。これらのノイズはEIS測定の精度を低下させる要因となります。
  3. 多セルスタックの診断: スタック全体のEIS測定では、個々のセルの状態を分離して評価することが困難です。スタック全体のインピーダンスは、最も性能の低いセル(リミティングセル)の状態に強く影響を受ける傾向がありますが、他のセルの状態までは詳細に把握できません。
  4. 解析の複雑さ: 得られたインピーダンススペクトルから物理的な意味を持つパラメータを正確に抽出するには、適切な等価回路モデルの選択や物理モデルの構築が必要であり、高度な専門知識を要します。

これらの課題に対し、以下のような研究開発が進められています。

電流分布測定技術によるセル内診断

燃料電池セル内の反応は均一ではなく、流路構造、ガス供給、温度分布、水分布などの影響を受けて局所的に異なります。特に、セル内の電流密度分布は、反応の活性度や物質輸送の状態を反映しており、不均一性が性能低下や劣化の加速に繋がることが知られています。電流分布測定技術は、セル内の局所的な電流密度を直接的または間接的に測定する手法です。

電流分布測定の原理と情報

電流分布を測定する代表的な手法には以下のようなものがあります。

電流分布情報からは、以下のような重要な知見が得られます。

これらの情報は、燃料電池スタックの設計検証、運転条件の最適化、異常検知、そして劣化メカニズムの解析に極めて有用です。

車載システムへの適用における課題と最新動向

電流分布測定技術を車載システムに適用する上での主な課題は以下の通りです。

  1. センサの集積化とコスト: セグメント化方式では、セグメント数に応じた電流センサと配線、データ収集システムが必要です。多セルのスタック全てに高分解能な電流分布測定機能を搭載するには、コストと複雑性が大きな課題となります。
  2. 耐久性と信頼性: 厳しい車載環境(振動、温度変化、湿度など)において、多数のセンサや配線が長期にわたり安定して機能する必要があります。
  3. 測定情報の活用: リアルタイムで取得される大量の電流分布データを、システム制御や診断にフィードバックするための高度なデータ処理・解析アルゴリズムが必要です。

これらの課題に対して、以下のような取り組みが進められています。

その他の高度電気化学的診断手法

EISや電流分布測定以外にも、燃料電池システムの電気化学的状態を評価するための様々な手法が応用されています。

これらの手法は、EISや電流分布測定と組み合わせて適用することで、燃料電池システムの電気化学的状態をより多角的に、深く理解することを可能にします。例えば、EISで特定の抵抗成分の変化が観測された際に、CVやLSVで触媒活性の変化を確認するといったアプローチは、劣化メカニズムを特定する上で有効です。

技術課題と今後の展望

燃料電池システムの高度電気化学的診断技術は、研究開発ツールとして不可欠なものですが、車載システムへの実用化、特にオンラインでの高精度・リアルタイム診断という観点では、まだ多くの技術課題が残されています。

結論

燃料電池システムの高度電気化学的診断技術、特にEISや電流分布測定技術は、システムの性能評価、劣化メカニズム解析、そして高耐久化設計・制御を実現するための強力なツールです。車載システムへの適用には、測定のリアルタイム性、ノイズ耐性、コスト、集積化、信頼性など、乗り越えるべき多くの技術課題が存在しますが、これらの課題を克服するための研究開発が活発に進められています。

これらの診断技術から得られる情報は、燃料電池スタックやシステム全体の設計最適化にフィードバックされるだけでなく、将来的なオンライン診断、予兆保全、そして運転状態に応じた適応制御といった高度なシステムマネジメント機能の実現にも貢献します。R&Dエンジニアとしては、これらの診断技術の原理と応用を深く理解し、自身の開発対象システムに適用することで、性能向上や耐久性課題の解決に向けた具体的なアプローチを検討することが重要です。今後の技術進展により、より高精度で実用的な電気化学的診断技術が、燃料電池モビリティの普及をさらに加速させていくことが期待されます。