FCEV向け燃料電池スタック・システムの量産化技術:製造プロセス最適化と品質管理
水素を燃料とする燃料電池自動車(FCEV)は、ゼロエミッションモビリティの有力な選択肢として期待されています。その普及には、性能向上、コスト削減、そして信頼性の確保が不可欠であり、中でも燃料電池スタックおよびシステム全体の「量産化技術」は極めて重要な要素となります。研究開発の成果をいかに安定した品質で大量生産に繋げるか、これは現在の自動車メーカーの研究開発エンジニアにとって大きな課題の一つです。
本稿では、FCEV向け燃料電池スタック・システムの量産化に向けた主要な製造プロセス、直面する技術課題、そしてその解決に向けた最新の研究開発動向について深掘りします。
燃料電池スタック・システムの主要な構成要素と製造プロセス
燃料電池スタックは、発電の基本単位であるセルを多数積層したものです。セルは主に以下の要素で構成されます。
- 膜/触媒接合体(MEA: Membrane Electrode Assembly): 電解質膜の両面にアノード触媒層とカソード触媒層が形成されたコア部分です。触媒層には白金などの貴金属が使用されることが一般的です。MEAの製造には、触媒インクの調製、膜への塗工(ロールtoロール、スロットダイ塗工など)、乾燥、熱プレス接合といったプロセスが含まれます。これらのプロセスにおける塗工の均一性、触媒層の微細構造制御、膜との密着性は、スタック性能に大きく影響します。
- ガス拡散層(GDL: Gas Diffusion Layer): 触媒層の外側に配置され、反応ガスの供給、生成水の排出、電子伝導、熱伝導の役割を果たします。主にカーボンファイバー基材に撥水処理やマイクロポーラス層(MPL)を施した構造です。GDLの製造では、基材の成形、含浸、焼成、コーティングなどの工程があり、その孔構造や厚さの均一性が重要となります。
- セパレータ(Separator): 各セルを分離し、反応ガスの流路を形成し、電子を伝導します。主に金属製(ステンレス鋼、チタンなど)またはカーボン製(グラファイトコンポジットなど)が用いられます。金属セパレータの場合は、精密プレス成形、表面コーティング(耐食性、導電性向上)が主なプロセスです。カーボンセパレータの場合は、材料混合、成形、焼成、機械加工が含まれます。ガスケットを組み込む溝加工なども重要な工程です。
- ガスケット(Gasket): セル間の気密性を確保し、ガスのリークを防ぎます。ゴム材料などが用いられ、高精度な成形やセパレータへの正確な組み込みが必要です。
これらのセル構成要素を積み重ね、エンドプレートで挟み込み、所定の圧力で締め付けることで燃料電池スタックが完成します。さらに、スタックに加えて、空気供給系(コンプレッサー)、水素供給系(バルブ、レギュレータ)、冷却系(ポンプ、ラジエーター)、加湿器、制御ユニットなどの「バランス・オブ・プラント(BoP)」部品が統合され、燃料電池システムとなります。システム全体の製造には、これらの部品製造に加え、配管、配線、制御システムの組み込み、機能試験が含まれます。
量産化における技術課題と解決策
研究開発段階の少量生産から、自動車用途で要求される数十万台/年クラスの量産へスケールアップするためには、以下のような技術課題の克服が不可欠です。
1. コスト削減
量産化の最大の課題の一つはコストです。 * 材料費: MEAに使用される白金触媒は高価です。触媒層における白金使用量の削減(低白金化)、非白金触媒の開発、触媒層構造の最適化による触媒利用率の向上などが研究されています。また、セパレータやGDLなどの材料費削減も重要です。 * 製造スループットの向上: 各工程のタクトタイム短縮、連続プロセス化(特にMEAのロールtoロール製造)、自動化率の向上は、単位時間あたりの生産量を増やし、設備投資効率を高める上で不可欠です。 * 歩留まり向上: 各製造工程、特にMEA接合やスタック組み立てにおける欠陥発生率の低減は、不良品の削減とコスト低減に直結します。精密な位置決め技術、均一な熱・圧力制御、異物混入防止などが重要となります。 * サプライチェーン最適化: 部品メーカーとの連携、物流の効率化などもコスト削減に貢献します。
2. 品質安定性・均一性
自動車部品としての厳しい信頼性要求を満たすためには、製造ロット間、個体間での性能・耐久性のばらつきを極限まで抑える必要があります。 * プロセスばらつきの低減: 触媒インクの粘度、塗工速度、乾燥温度、熱プレス条件、スタック締め付け圧力など、多岐にわたる製造パラメータの厳密な管理と制御が求められます。 * オンライン・非破壊検査技術: 製造ライン上でリアルタイムに品質を評価する技術が必要です。MEAの触媒担持量・厚さ分布計測、セパレータのコーティング品質評価、スタックのガスケット密着性検査、非破壊でのセル性能ばらつき評価などが研究されています。X線CT、超音波検査、電気化学的なオンサイト診断などの活用が進められています。 * トレーサビリティ: 各構成部品から最終システムまでの製造履歴データを管理し、品質問題発生時の原因究明や改善に役立てることが重要です。
3. スケールアップと自動化
少量試作ラインから大規模量産ラインへの移行には、設備投資、人員配置、レイアウト設計など、根本的な見直しが必要です。 * 生産ライン設計: 各工程の生産能力バランス、ボトルネック解消を考慮した最適なライン設計が求められます。 * 自動化技術: 人手による作業を自動化することで、生産性向上、品質安定化、作業者の負担軽減を図ります。特にスタック組み立てのような複雑な工程における高精度ロボット技術の活用が期待されています。 * スマートファクトリー化: IoTセンサーによる製造データの収集、AI/MLによるデータ分析、製造実行システム(MES)との連携により、生産状況の可視化、リアルタイムでのプロセス最適化、予兆保全などを実現する取り組みが進んでいます。
最新の研究開発動向
量産化技術のブレークスルーを目指し、様々な研究開発が進められています。
- 革新的なMEA製造プロセス: ロールtoロールプロセスをさらに進化させ、低コストかつ高スループットで高品質なMEAを製造する技術開発。Additive Manufacturing(3Dプリンティングなど)を触媒層やGDL、セパレータ製造に応用する研究も初期段階で行われています。
- デジタル技術の活用: 製造プロセスのデジタルツインを構築し、様々な製造条件でのシミュレーションを通じて最適なプロセスパラメータを探索する研究。生産データ、検査データ、スタック運転データなどを統合的に分析し、品質や寿命に影響する製造要因を特定する取り組みも進められています。
- 材料と製造プロセスの連携開発: 新規触媒、膜、GDL、セパレータ材料の開発と並行して、それらの材料特性を最大限に引き出し、かつ量産に適した製造プロセスの開発が行われています。
- モジュール生産と標準化: サブコンポーネント(例:MEA/GDL一体型)のモジュール化を進めることで、組み立て工程の簡略化・高速化を図る取り組み。製造プロセスや検査方法に関する業界標準の策定も、サプライヤー間の互換性確保やコスト削減に寄与します。
まとめ
FCEVの本格的な普及には、燃料電池スタック・システムの性能・耐久性向上に加え、高品質な製品をいかに効率的かつ低コストで大量生産できるかが鍵となります。材料技術、製造プロセス技術、検査技術、そしてIoT、AIといったデジタル技術を融合させた革新的なアプローチが求められています。
自動車メーカーの研究開発エンジニアは、単に個別の技術要素(触媒、膜、GDL、セパレータなど)やシステム設計だけでなく、それらをいかに量産可能な形で実現するかという製造プロセスの視点を持つことが不可欠です。製造部門やサプライヤーとの密接な連携を通じて、研究開発の成果をスケーラブルな製造技術へと昇華させることが、水素モビリティ社会実現に向けた重要な役割となります。今後の燃料電池製造技術の更なる進化に注目が必要です。