水素交通の可能性

FCEV向け燃料電池スタックにおけるセル電圧モニタリングとセルバランス制御技術:信頼性と寿命向上への貢献

Tags: 燃料電池, FCEV, 燃料電池スタック, セル電圧モニタリング, セルバランス制御, 状態診断, 劣化予測, システム制御

序論:燃料電池スタック性能維持におけるセル電圧モニタリングと制御の重要性

燃料電池自動車(FCEV)の基幹コンポーネントである燃料電池スタックは、数百枚にも及ぶセル(単セル)を直列に積層して構成されます。各単セルは電解質膜、触媒層、ガス拡散層(GDL)、セパレータなどから成り立ち、水素と酸素の電気化学反応によって電力を発生させます。スタック全体の性能は、各単セルの性能の合計によって決まりますが、製造ばらつき、運転条件の不均一性(温度、湿度、ガス濃度分布)、経年劣化の差などにより、各単セルの電圧にはばらつきが生じます。

単セル電圧のばらつきは、スタック全体の性能低下、一部セルの早期劣化(例:逆転現象によるセパレータ腐食や膜劣化)、さらにはスタックの寿命短縮や致命的な故障に繋がる可能性があります。このため、各単セルの電圧を正確に監視(モニタリング)し、必要に応じてセル間の電圧ばらつきを抑制・是正するセルバランス制御技術は、FCEV用燃料電池システムの性能、信頼性、耐久性を確保する上で極めて重要となります。本稿では、このセル電圧モニタリング技術とセルバランス制御技術に焦点を当て、その主要な技術アプローチ、実装上の課題、そして最新の研究開発動向について深く掘り下げます。

セル電圧モニタリング技術

セル電圧モニタリング(Cell Voltage Monitoring, CVM)システムは、スタック内の各単セルの電圧を測定し、異常がないか、あるいは特定の基準値から外れていないかを監視するシステムです。通常、スタック管理システム(SMS)または燃料電池システム制御ユニット(FC ECU)の一部として機能します。

測定原理と技術的課題

各単セル電圧は、スタックの電気的な直列接続特性上、隣接するセパレータ間の電位差として測定されます。一般的な測定方式では、各セルのプラス極側とマイナス極側にプローブや端子を設け、それぞれの電位差を個別に測定します。 CVMシステムにおける主な技術的課題は以下の通りです。

  1. 多チャンネル測定: 数百枚の単セルを同時に、あるいは高速に切り替えて測定する必要があり、測定チャンネル数が非常に多くなります。
  2. 高電圧・絶縁: スタック全体の電圧は数百ボルトに達するため、測定回路には高い絶縁性能が求められます。
  3. ノイズ耐性: 燃料電池システムは高周波のスイッチングノイズなどが発生しやすく、微弱なセル電圧信号を正確に測定するためには高いノイズ耐性が必要です。
  4. 測定精度と速度: 劣化の兆候などを早期に捉えるためには高精度な測定が求められ、また動的な運転条件下でのセル電圧変動を捉えるためには高速なサンプリングが必要です。
  5. 小型軽量化・コスト: 車載システムとして搭載するためには、システムの小型軽量化とコスト削減が不可欠です。

主要な測定方式

これらの課題に対して、いくつかの測定方式が採用されています。

最新のモニタリング技術動向

セルバランス制御技術

単セル電圧のばらつきが許容範囲を超えた場合、スタック全体の性能を維持し、特に電圧の低いセルの劣化加速を防ぐために、セルバランス制御が必要となります。セルバランス制御の目的は、全てのセルの電圧や状態を可能な限り均一に保つことです。

セル間電圧ばらつきの原因と影響

電圧ばらつきの主な原因としては、製造時の触媒担持量や膜厚の微細な差、スタック内での温度・湿度・ガス濃度分布の不均一性、運転パターンによるセルごとの劣化速度の差などが挙げられます。 このばらつきが進行すると、特に負荷変動時などに一部のセルが過度に低電圧になったり、最悪の場合には電圧がゼロ以下になる「セル逆転」が発生し、セル構成材料(特にGDLやセパレータ)に深刻な損傷を与え、スタック寿命を著しく縮める可能性があります。

主要な制御方式

セルバランス制御には、主に以下の方式があります。

燃料電池システムにおいては、積極的にセル間のエネルギー移動を行うアクティブバランス制御は、二次電池システム(特にリチウムイオンバッテリー)で広く用いられるものと比べ、導入事例は限定的です。これは、燃料電池の特性として、ある程度の電流を取り続ければ電圧が維持されやすいこと、そして逆転リスクの高い低電圧セルはそもそも電流を供給できない状態に陥りやすいため、積極的にエネルギーを注入する制御の有効性や複雑性のバランスが課題となるためです。

しかし、近年では、低負荷運転時や停止・再起動時など、単セル電圧が不安定になりやすい条件下での性能維持や劣化抑制、さらにはセル寿命の最大化を目指し、スタック内の特定のセルグループに対して、あるいは単セルレベルで電圧を監視し、ガス供給量の最適化や、必要に応じて外部からの補助(例えばバッテリーからの電力供給)を制御するアプローチなどが研究されています。これは厳密な意味での「エネルギー移動」を伴うセルバランス制御とは異なりますが、「電圧ばらつきを是正し、セル状態を均一に保つ」という意味では広義のセルバランス制御と言えます。

制御アルゴリズムの設計

セルバランス制御(広義)のアルゴリズム設計においては、以下の点が考慮されます。

特に、動的な運転条件下で、特定のセルが瞬間的に低電圧になった場合の対応や、定常的な電圧ばらつきに対する長期的な是正アプローチなど、運転シナリオに応じた制御戦略の設計が重要です。

セル電圧データ活用とシステム連携

CVMシステムによって取得される大量のセル電圧データは、単なる監視だけでなく、燃料電池スタックの状態診断、劣化評価、そして将来的な性能予測や寿命管理に不可欠な情報源となります。

実装上の課題と今後の展望

セル電圧モニタリングおよびセルバランス制御技術の実装には、依然としていくつかの課題が存在します。

今後の展望としては、CVM機能とセルバランス制御機能を統合したより高機能なASICの開発、セル電圧データと他のセンサー情報(温度、湿度、ガス流量など)を組み合わせた統合的な状態診断プラットフォームの構築、そしてAI/MLを活用したリアルタイムでの予測制御による、スタックの性能・信頼性・寿命の最大化が期待されます。また、スタック設計の観点からは、セル間電圧ばらつきを物理的に抑制するためのセパレータや流路構造の最適化なども、CVM/制御技術の負担を軽減する上で重要なアプローチとなります。

結論

FCEV用燃料電池スタックにおけるセル電圧モニタリングとセルバランス制御技術は、スタックの性能維持、劣化抑制、そして長期的な信頼性と寿命確保のために不可欠な要素技術です。多チャンネル測定、高電圧対応、ノイズ耐性といった技術的課題に対して、ASIC集積化などの技術が進展しています。広義のセルバランス制御も、運転状況に応じたガス供給制御やシステム連携によって、その重要性を増しています。取得されるセル電圧データを高度に解析し、AI/MLを活用することで、より高精度な状態診断や劣化予測が可能となり、スタックのインテリジェントなマネジメントに繋がります。これらの技術は、FCEVの実用化と普及を加速させる上で、今後も継続的な研究開発が求められるフロンティアと言えます。